今の考え、思いを
「私は体験したいか?」
と常に問うとね、
ほとんど NOじゃない?
自分の中で働いた思考や
思いをそのまま体験する
ってのが、この世の理。
是非とも体験したい!と言える
思いを巡らしていきたいね。
それではステキな1日を!
。。。光静。。。。
お絵描きが止まらない。笑
寝不足になるぅ
#いい思いを体験しようぜ
]]>
意地ってなんだ?
今日はそんな話しをね。
あぁ〜
それにしても大谷選手の件
気になるなぁ。。。
大きな穴がポッカリだろうに。
金額よりも大きな心の損失
( ; ; )
さてと。
仏教は人間の働きを、五感
眼、耳、鼻、舌、身
でとらえます。
これらの働きには善悪なし。
ところがそこに「思い」が入り
「欲」が生まれる。
例えば、そこに餃子がある。
昨日、皆んなで王将餃子を食べたから
例えがこうなってしまうわ。笑
すぐさま五感がフル稼働。
見て匂って、五感情報をまとめ
第六感の意識が餃子と判断。
ここまでは善悪なし。
その判断によって生まれるのが
「思い」
[ウマそう!皆んなで食べよ]
或いは
[独り占めしたいぜぇ]
すると「欲」が生みだされ
自分の思いを達成したくなり
達成の為の「言葉」が誕生。
皆んなで食べよぉ〜、とか
コレ、あげないからね!とか。
あげないよ!と聞いたとき
意地悪なやっちゃな〜と思いますね。
[出来事]
↓
[思い]
↓
[欲]
↓
[言葉]
こんな流れね。
この「欲」を生む、1つ手前の
「思い」を意地といいます
わお( ̄∇ ̄)意地ってこんなとこに居る!
出来事
↓
思い…意地
↓
欲
↓
言葉
仏教は口から出る言葉の修正でなく
この意地(思い)の部分を
好ましくコントロールしようぜぇ
と働きかけるのね。
上手くコントロールできたら
「いい意地だなー」
皆んなで分けたいな〜の思いね。
下手くそだったら
「悪い意地だった」となり
これが意地悪!
誰にもやんないぜぇ〜の思い。
そ!意地って
良い意地と悪い意地の2種。
大谷選手の通訳の水原さん、
悪い方の思い(意地)に
引っ張られちゃったんだろなぁ。。
私たちも気をつけて
良い意地をたくさ〜ん張って
歩みたいものですね。
昨夜は皆んなより多く食べたけど。餃子。笑
それではステキな1日を!
。。。。。光静。。。。。
絵墨っていう顔彩買ったら
すんばらし〜色合いだったー。
遊び描きが止まらない。
絵の好きな人、買ってみて〜。
ヤバいよ〜〜
#意地を張る
#顔彩
#絵墨
#悪い思いに負けちゃダメよ
すぐに心配ばっかりする自分が
ちょー嫌なんです
とメールくれたFさんへ。
心配するってな心、瀧本は
すげ〜ステキと思います
大切なことや
大切な誰かがいる人は、それを
守りたい
から心配になる。
傷など付いてほしくない!
から、寝ても覚めても心配。
たくさんあるのねFさん。
大切なモノが。ステキ。
肝心なのはね
心配しすぎることで
あなたが傷付いてしまうのが
本末転倒ってことなんでは?
今夜は「心配する心」を
ちょっと棚上げして、
守りたいモノがある私
に幸せを感じて
休んだらいいかな、と。
心配なことがあるって、
ステキです。
ほんじゃ、おやすみなさい
。。。。光静。。。。
多分、6月にね、
イラスト満載の私の本が出版されます。
多分。ね。笑
予約制となりますから、詳細が決まれば
ご報告しまーす。
#心配
#癒し本
その辛さって、配置ミスちゃう?
配置まちご〜たらアカンのよ
なんのよ?
なんの配置よ?
原因と結果よ
この原因と結果の配置
まちご〜たらえらいことよ。
笑顔は
幸せの結果じゃの〜て
幸せの原因
これ入れ替えて考えたら
コワない?( ̄ー ̄)
笑顔は
幸せの原因じゃなく
幸せの結果やで
とか言われたら、ヒドない?
途端に笑顔の人口、減りそ。
ヘラヘラしてたらいいんよ。
アホみたいにヘラヘラしとく。
「アホちゃう?」
とか言われたら
「バレた?」
「なんでやろ?」
ってヘラヘラしとく。
これ書いてる今、
楽しくてヘラヘラしてる。笑
さ、配置ミスしてないか、
チェックしてみよう!
それではアホみたいな1日を!
。。。kousei。。。
ミス、ほったらかしてたら
逃げちゃうよ、幸せなココロ。
#ほっこり
#まったり
#アホみたいに生きる
何一つ理想に向かわなくて
投げ出したくなったとき
(もぉ諦めてしまおう…)
と思うよなぁ…。
うん、思うおもう。
そんな時はねぇ。
置き換えたらいいんよ。
そう、置き換える。
言葉を置き換えてみるといい
あきらめよう、じゃなく
ゆだねよう って。
ゆだねる。
執着からはなれて、
大きな力にお任せしようっていう
すごい立派なこころね。
諦めた自分が情けない…と自分を責めて
ずっと苦しい、とご相談をくれたFさんへ。
大きな力にお任せしたんだから
あとは気長〜に待ってたら?
忘れてもいいかもね。
^^
私も、いろんなこと、ゆだねてます。
そして「あとはヨロシク」の後は
すぐ忘れるようにしてます。笑
楽チン〜♪
それではステキな1日を!
……kousei……
いつからかなぁ。
私は「苦労をする」ということが好き。
苦を労する
これが楽しくなってしまったので、
ある意味人生から苦労が無くなった。(笑)
先日の書画のお教室で
こんなお話しをしました。
三級浪高魚化龍
さんきゅうなみたこうして
うおりゅうとけす
この言葉にある「三級」とは
勢い激しく三段に流れる水の流れ。
鯉がその流れに逆らい登り切った時
角が生えて龍になるといわれてる。
苦に立ち向かったあかつきには
全く違った次元の世界で
大空を舞うように生き始めるのね。
この書は(どんな配置で書こうかな?)と
試し書きの一発目のもの。龍の顔の部分は
まるで子供が描いたような幼稚な仕上がり。
まだまだ龍に化するなど程遠い今の自分に
妙にピッタリなので採用することに。
以前の私は、といえば
(いかに楽して結果をだすか)
ばかり考えてたぁ〜。
夜食を食べながら朝に体重が10K減っとけ
と真剣に祈り脂肪吸引の検索もしたぁ。(笑)
そんな私が苦労を好きになったとゆー謎。
改めて「何が自分を支えているのか」を
じっくり振り返ってみたわけ。
それ以来、苦労が好きになった。
いや大好き。
よくわかったんです。
今の生き方の指針になっているもの全てが
「最も時間をかけたもの」
ってことに。
言語障害の私は幼少期から自己流で
他人が聞きやすい声量や抑揚の付け方、
ブレスポイントを研究してきました。
べそかいてずーーっと研究。
絵本のページをちぎって壁に貼り
まっすぐ声を出して読み上げたり、
ラジカセに録音して聞き返すなど
涙ぐましい自主練をひたすら!
それでも、やっぱり自信が持てなくて
学校で宿題の発表を当てられた時は
黙ってただ立っているだけの子。
今の私からは想像できん、と言われるけど。
時空の歪みに入って、当時の私に伝えたい!
「君の将来はヤバいくらい楽しいよ」って。
しかしまぁ、当時の私はそれはそれは
「内に怒りを秘めた子」でした。
自分の在り方に嫌気がさしたピークの頃
仏教学に出会って、貪るように独学を開始。
家の床が抜けるほど本を積み上げて、
引越し屋さんに「過去最高の本の量!」と
困らせたことも。本の重量はすごいから。
睡眠と仕事以外の時間はひたすら勉強。
異常な勉強ぶりでしたね。
生きるって、
しんどいなぁ・・・
と、無心に光をもとめてました。
なぜ生きなきゃダメなの?
生きるってなんだ?
普通ってどんなだ?
日頃の心のテーマはこれ一択。
ずーーーーーっと考えてました。
お釈迦様とちょっと似てる?( ̄▽ ̄)
そして
光はありました!
経典の中に。
経典の言葉が全身をかけぬけて
目が覚めていきました。
初めて呼吸したって感じです。
で、気付けば僧侶に。
はたまた気付けば講演家に。
さらに気付けば人気鑑定師。
(自分でゆーてる笑)
繰り返すことで乗り越えた自分の中の
小さな成功事例は、自信の種となって
大きく育ったのね。
そして、小さな脳に叩き込んだ仏説は
今、人のお役にたってる。(はず…笑)
今の役回りは、難しい東洋思想を
愉快に伝える法話をすること。
仏教に興味をもってもらえるように。
そして個人面談では生き方の提案、
また、書を通して自己と向き合ってもらい
ゆる〜りと疲れを癒してもらうこと。
書画のお教室は死ぬまでやりたい〜
今はそれらのバトンを渡せる弟子を
せっせとガムバって育ててます。
( ̄ー ̄)!
気付けば、過去の苦労がね
「私そのもの」
になっているとわかった。
苦を越えて新たな私になるというより
それらが私そのものだったのね。
過去の苦労の集合体が私
苦労とは、一定の時間熟成されれば、
どうやら光を放つものらしい。
だから私は苦労に感謝してる。( *´艸`)
鯉が激しい水流を傷だらけになって登り
ついには天龍となるように、
私たちもね、どんなことがあろうが凹まず
上昇していきたいものですぜィ (´艸`*)
「私の人生は苦労ばかりでもう嫌…」
とご相談をくれたUさんへ向けて
書きました。
それではステキな昼下がりを!
・・・・・・・・kousei・・・・・・・・
明日までだよ〜
真解学10期の締め切り〜!
]]>
仏様は願い事を
叶えてくれますか?
さて、と。
仏様は願い事を叶えてくれるか否か??
こう答えました。
「今抱えている願いが叶っても
幸せになれませんよ」
今の全ては願いが叶った姿です。
今の仕事、今の夫、今の妻、今の友人
今の服、今の能力…
とりまく全ては、我々自分が個々に願った姿。
仏教はこう説きます。
願いを仏様が叶えるのでなく
仏様の願いを私達が叶える
仏の願いを体現する生き方をすると
幸せになれるよ、と。
さ、仏様の願いを叶えましょう。
人へ施し、上限無い欲を制して
過去や未来への旅人をやめて「今」に。
「仏様は願い事を叶えてくれますか?」
この問い自体が愚問ですね。( ̄▽ ̄)
質問を変えて。
どうすれば仏様の願いを
叶えて差し上げられますか?
すると、相応しい行動が
見えてくると思いますよ。
それではステキな夕刻を。
。。。。光静。。。。。
とかなんとか、カッチョいいこと書いたけど
難しい〜〜ですよぉ、お釈迦さまぁ〜涙
すぐさま幸せボケする我々に
命の尊さと命の儚さ、そして
大自然への無力さを叩きつける、
そんな年始であったと思います。
今、迎えられている、この
1日、1日を心から重んじ、
そしてお役目があるならば
それを大事に満了する日々を
歩んで参りたいと思います。
本年もどうぞ宜しくお願い致します
男は自分の横に神様がいてくれて
人生を共に歩んでくれていることを確信していた。
男の言う通り、その神は姿がみえない。けれど
ずっと同じ足取りで歩んでいる跡が続いていた。
男は辛い時でも心強く進むことができた。
嬉しい時も寂しい時も、男は神へ感謝をした。
ある日、大きなトラブルに見舞われ
(なぜこんなことに。。)と、男は途方に暮れ
もがき苦しんだ。
(いや、神様がいて下さる。大丈夫だ…)
そう言い聞かせ前を向いて歩もうとした。
けれど今回ばかりは抱えた問題が重すぎて、
男はすっかり疲れ果ててしまった。
そんな男の心は次第に怒りへと変わり、
側にいるはずの見えない神へ
「横にいるだけでは何もならない!
助けてくれてもいいじゃないか!」
と宙を睨んで怒鳴りつけた。
姿が見えない神からの返事はなかった。
男は振り返り足跡をみた。
2人分の足跡があるはずのそこには
1人分しかなかったのだ。
ずっと遠くから1人分の足跡が残っていた。
神は私を見捨てた…
あまりの苦難の大きさに呆れて
神は逃げてしまったのだ。。。
男は大泣きした。怖くて震えた。
私は独りぼっちになったのだ…と。
すると神の声が聞こえた。
「泣くことはない。
私は遠くからあなたを
背負い歩いているのだ」
。。。。。。。。。。。
年内中に面談をしてほしい、とのご要望が
たくさん届きます。
残すところ1日。ご要望にお応えできなくて
本当に申し訳なく思っています。
。。。。。
今日のご相談者の方へお話ししたエピソードを
シェアしました。
いつも瀧本は思ってるんです。
何かトラブって、マジかー!と凹んでいても
それでもどうにか事が進む時とか…
或いは自分の思考とは別の方向へ導かれるように
色んな事象が繋がっていく時とか…
ひょっほ〜〜
背負ってもらってる〜
おんぶされてる〜
と。笑
。。。。。。。
今日、こんなことが。
仕事が早く終わりお風呂に入ろうとすっ裸で
映画鑑賞セットを用意して至福タイム。
と思って湯をすくったら真水!
なんでー!
心臓止まるかと思った。( ̄▽ ̄)
浴室から一旦引き上げ、改めて湯船の準備。
わりとショック。癒しを取り上げられた気分。
その時、ピンポーンとチャイム。
「〇〇です。宜しくお願いします」
え??誰?
31日のアポを勘違いして今日来られた相談者。
遠方から来られたので急いで服を着て面談を。
いやーお風呂が水でよかった!
シャワーしてたら聞こえなかっただろうし。
何をしてもドジで自信がない
運というものがあるのなら
なぜこんなに運が悪いのか…とのお悩み
なぜ自己を卑下する捉え方を選択するのか
本当の自分の見つけ方、
心のクセの解放方法、
運とは何か、等々をお伝えしました。
ってか、運いいんちゃう?( ̄ー ̄)
私のお風呂を水にしたのは
あなたの神さまちゃう〜?と言いたい。
元気にお帰りになられました。
本当に良かった。本当に。
。。。。。。。
蒸気船に乗っていた松下幸之助さんが
誤って海に落ちて救助された時、
いや〜運が良かった、夏の海で!
と言われたのを思い出しますね。
素晴らすぃ!
苦しいなぁと思う時、ひょっとしたら
神さま仏さまに背負ってもらってるかも?
と視線を変えると違う世界が見えるものだと
思います。
さて、と。やっとお風呂に入ろーーっと。
神さまと混浴しよ。笑
真解学の10期生はじまるよー
オリエンテーション1月14日10時半〜
#人生相談
人間関係、距離が大事。
近すぎたら見えなくなることがある。
少し離れた方がいい時があるね。
怖がらなくていいんよ。
その距離は「離別」じゃなくて
改善、修復、やから。
離れて見える「繋がり」がある。
それではステキな夜を!
。。。。。光静。。。。。
Lさん、怖がらずに少し離れてみて。
大丈夫!大丈夫よ。
#人間関係
#仏教の言葉
「その苦には、
必ず原因があり、
その原因は知恵へ導く。
はたまた幸せは
「幸」があるのではなく
足元に感謝があるのだ」
これを覚えておくと
苦の対象を睨み続けることなく
幸せは「偶然訪れた訪問者」
でもなくなる。
。。。。。。。。。。
ご相談
1人でいると自分を卑下する考えばかりです。
時々、幸せだなぁと思える事もあるけど
その予定が終わると、また意味もなく
ため息をしながら後ろを向いてしまいます。
前を向いて歩みたいけれど、どうしていいのか
わからないでいます。
。。。。。。。。。
世間では「人生、前を見る」が妙に美化。
前をみて!前をみて!前を見て!ばかり。
でも、仏教は違います。
Fさんは前と後ろを見るのが好きっぽいけど。
笑
前を見るとか後ろを見るとか、
よりも、見るべきは
足元なんだぜ!
と仏教は教えます。
どぅも我々は
苦しいときは、その対象をみるし
幸せのときも、その対象をみる。
いつも外側にある「目の前」ですね。
でも
原因は「内」にあり。
感謝も「内」にあり。
苦を感じた時、
幸せを感じられている時、いずれもね、
前でも後ろでもなく
足元を。^^
苦にある時の足元を見るコツは
(他人に踏み込まれたらヤダな)
と感じるあの重たい心の中にあります。
誰にも言わなくていいんです。
優しく触れて受容してあげてください。
すると、どう在りたいのか、が
自然とみえてきます。少しづつ。
それではステキな夜を!
。。。。光静。。。。。
今日は、あることで苦しんでいる弟子と
ずーーっと過ごしました。
2人で彼女の中の原因を追求し、知恵に到達。
きっと、もう大丈夫。
まさに、原因は足元に。
さぁて、彼女の実践力に期待!^^
プレッシャーかけたりして。笑
#因果の道理
#仏の知恵
苦しい… 辛い…と思う事、いっぱい起きますね。
ほんとに。
。。。。。。。。。
ご相談
カウンセラーになりたくて人の役に立ちたくて
あらゆる勉強をしてきました。
けど、自分の人生に辛いことが多すぎて
全く余裕がありません。自分のことばかり。
カウンセラーなんて、身の程知らずかと。
自信もなくて。私なんて…ばかりです。
。。。。。。。。。。。。
Eさんへ。
わかります、とても。
カウンセラーを目指されたということは、
なんとか縁ある方の力になりたかったのですね。
素晴らしいと思います。
仏教にこんなお話があります。
とある男が悲しんでいた。
(なぜ私は優しくなれないのか)
人に冷たい言葉を与えてしまう…
人へ優しい言葉をかけられない…
その男は、ついにお釈迦さまのところへ行き
その内なる思いを明かした。
「世尊よ。私は鬼のような人間です。
こんな私は生きる資格があるのでしょうか?」
お釈迦さまは言われました。
「あなたほど他へ優しさを施せる人はいない」
男は言った「どういうことですか?」と。
「冷たさを知る人こそ温もりを知る人なのだ。
温もりしか知らぬ者は、冷たさを知らず。
しかし、あなたは知っている。
その苦しみを覚えよ。そして忘れるな。
あなたの苦しみは、誰かが抱く苦である、
その者に、最もあなたが寄り添うであろう。
。。。。。。。。。。。
私は数年前、解離性動脈瘤っていう
ややこしい名前の病気になりました。
わお!ƪ(˘⌣˘)ʃ
今でも、ちょいとしたときに、
毛細血管が切れて、内出血ばかりです。笑
のだけれどそれ以来、同じ病の方からのご相談
が山ほどきます。皆さん日々恐れておられます。
でも、私はこう解釈できるようになったのね、
健康を損なったぁ〜
ではなく、
寄り添える力を
授けてもらえた
そう思っています。
簡単に言えば
経験者は語る
ですね。
Eさーん。
カウンセラーを目指されてるんですよね?
なら、今の苦しみは
「財産」です!
知識で人に寄り添うことはできません。
大切なのは
経験です
変な言い方ですが、っというか
これこそ冷たい言い方かもしれませんが
じっくりと
今の苦しみを味わって
忘れないでください。
どう感じて、何を失いそうなのか、
何が襲ってきそうなのか。。。。
しっかり心を観てそれを記録して下さい。
そこから脱出していく流れを
全身で感じながら体験してください。
すっごい素敵なカウンセラーに
なられると思います!
応援しています!
苦は財産だー!
。。。。光静。。。。。
#自信がない
#カウンセラーになりたい
昨日、電流で全身の筋肉を緩める治療院へ。
理由は歩けないほどの全身の筋肉痛。
とあるジムの3時間みっちり講習に参加した結果
体が悲鳴を。
わずか3名のエントリーに対して
5名のインストラクターが指導にあたるという
贅沢な比率に張り切りすぎてしまった。笑
治療院で胸側を伏せるような椅子に座り
背中に電流シートのようなものをペタペタ。
パワーは5段階とか。
「2から始めるので強かったら言ってね」
感覚を背中に集中。
( ̄ー ̄)んー、何も感じない。。。
レベル3にしてもらっても…全く感じない。。
相当疲れてるのかな?
4へ。( ̄ー ̄:)。。。感じない。
「5にしたら、突然くるかもしれないけど
上げますね」『はい、お願いします』
ちょっと緊張してたら
い、イタたたぁーーー
いだだだーー!
うぉーーー
と、カーテン越しのマッチョの若いメンズが
両手足をバタバタしてた。笑
そっちのスイッチやったんかーーい
。。。。。。。。。。。。
3時間のトレーニングは哲学からスタート。
配布資料の図を見た時、ワクワクした。
それは心の成長過程を8段階にしたもので
仏教そのもの。サンスクリット語だった。
(へぇ、こんなところで出会うとは)
インストラクター達が
「何日もかけて作成したんです」
と言ってお勉強が始まったけど、
私の目には数箇所の誤りがすぐ見えた。
が、黙っていた。今日は私は生徒だ。
少しして他の受講生が1つの質問をした。
「サンスクリット語はどの国の言葉ですか?」
その質問への回答に少々間があった時、
黙っておけば良いものを、私は「それはね」と
ついに口を挟んでしまった。そのついでに
数箇所の誤字を指摘するでしゃばりぶり。
(黙れ、私よ!)と思ったけど、その資料に
もう少し説明を加筆したほうがいい箇所が見え
お釈迦さまのエピソードを展開してしまった。
( ̄▽ ̄)ヤッテシマッタ
それは「アヒンサー」という言葉。
《日常的に行わない方がいいこと》
と定められた5項目の1つがアヒンサーで
《非暴力・非殺生》を意味する。
資料の説明は以上だけど、実はアヒンサーは、
単なる戒律名ではなく、その奥に味わい深い
素敵なエピソードがあるのだ。
。。。。。。。
釈迦教団が大勢で原野を移動していた時
ある男が大声で釈尊をやじった。
この男、もとは盗賊で、100人の人の指を
切り落とした犯歴があり、釈尊や僧侶を
目の仇にしていたのだ。その男が言った。
「お前は、殺生してはいけないと言いながら
その有り様はどうだ!足の裏を見てみろ!
お前達が歩き回るせいで、小さな虫や新芽が
踏みつけられているじゃないか!」
釈尊は立ち止まり足の裏をみ見て言った。
「あなたの言う通りです。
私はそれに気付かなかった。ありがとう。
では今後私達は、小さな芽がでるこの時期、
出歩かないように努めよう。さらには
小さな虫にも気を配り歩くことを戒律とする。
そして、今後この戒律を忘れないために、
あなたの名前を戒律名にしよう。」
『俺の名前を戒律に?ふざけるな!』
この男の名がアヒンサーなのだ。
この日以来、釈迦教団にアヒンサーという
新たな戒律が加えられた。
釈尊に恥をかかせてやろうとの企みだったが
反対に感謝され歓迎されてしまったのだから
その男としては、してやられた思いだったろう
これも釈尊の粋な導き方だ。
小さな命を痛めてはいけないという戒律に
自分の名前が付けられてしまったのだから
彼もきっとその悪事から離れるだろう。
教団は新戒律のアヒンサーを大切に守っていった
。。。。。。。。。
とまぁこんな感じでこのエピソードをペラペラ
話してしまい、皆から拍手を受けてしまった。
楽しかった。というか、感動でした。
若いインストラクターの口から聞いた言葉に
瀧本は感動しました。
「暴力は行わないほうがいい、という
非暴力のルールは、当たり前に感じますね。
人へ暴力をはたらくのは良くない。
けれど、このアヒンサーが目指す対象は
自分自身です。
私たちは自分自身へ暴力的です。
悪い言葉を使ったり、
体に良くない物を食べたり
運動をしないことも暴力。
無駄なモノを買うのも暴力だと思っています。
見えないストレスは必ず体に現れます。
さ、体を動かしてあげましょう!」
この解説に瀧本の心は高揚しました。
。。。。。。。。
その後、体を動かすこと2時間!
張り切りすぎて治療院行き、という
わかりやすいほど、素人的な振る舞い。笑
カタチを変えた暴力だったか。( ̄▽ ̄)あは
インストラクター達の言葉が心に残り、
家に戻ってノートにまとめました。
その時、弟子からメールが。
「とあるオンライン講演会に参加していたら
途中で光静先生の名前がでてきてビックリ!
お釈迦様のことを本当に分かりやすく話す人だから
光静さんを検索してみてと言われてましたよ!
逆視道という講座も受けてみた方がいいよって
言われて、とても嬉しくなりました」
え?どなた??
と思ったら、私の大好きな小説家の先生、
なんと森沢明夫さんでした。わお!
森沢さん自身が書かれた作品の中には、思わず
メモをして残したくなる素敵な言葉がたくさん
その「素敵な言葉たち」を味わいながら
幸せに生きるとはどういうことか、を
話された講演会だったそう。
えーー知らなかったぁ〜( ; ; )
そんなのがあったのね。
知ってたら私も絶対参加したぁ。
おお!かっちょいい!
わざわざ拡大。笑
わ!あるある。なんだか嬉しい♪
月に10冊は本を読むけど、その選び方は
1人の作家の先生を追うのではなく
必要ジャンルを探りまくる読み方。
なんだけど、唯一、森沢さんの本は
「森沢WORLD」が好きだから全部読む。笑
互いの講演会に行ったり来てもらったり、と
仲良しこよし。だったけれど、ここんとこ
ご無沙汰になってたときの弟子からの報告。
すぐご本人とチャット会話。嬉しい。
森沢さーん、
森沢WORLD講演会、次参加しますので!
皆さんもぜひ、あのしっとりした世界観に
触れてみてね。ヤバいよー
そして何より、仏教を知るなら光静さんへ、
みたいな事を言ってもらっておそれながらも
感動( T_T)
ありがとうございますぅ
。。。。。。。。
私は仏教がもっと広がってほしいと願っています
本当に心から。
心がポッカリ、の時は
仏教の言葉で穴埋めができる。
心がぐちゃぐちゃ、の時は
仏教の言葉で整頓できる。
心が渇いた時は、
仏教の言葉で潤すことができる。
そんな妙薬。
ポッカリしたまま、ぐちゃぐちゃのまま、
渇いたまま、での放置は、
それこそ暴力。
外へ向けた自分の在り方に
人は向上を望み積極的に興味をもつけれど
内にある自分の在り方は、極端なほど無責任
アヒンサー(非暴力、非殺生)
思いもしない所で再会した言葉。
必然だったのね。
最近、仕事に振り回されていましたから。
まさに己の殺生。これは私への言葉でした。
丁寧に見つめ直します。
若いインストラクターが仏教を語っていたこと、
とても嬉しい。
森沢せんせーが「瀧本のブッダの話いいぜ!」と。
これまた嬉しい。
筋肉痛でバッキバキだけど、
内なる心は緩んでいます。よし。
さて、と。今夜は食事会で法話。
語ってきます。笑
合言葉は、レッツ アヒンサー!
「運動しないことも
立派な暴力です。」
ドキっとする言葉ですね。
今日、動いてない人〜、今からお散歩を!
それでは素敵な夕暮れを。
。。。。。光静。。。。。。
治療院の隣りにいたヤングマン、
ぜったい感電してたなぁ。笑
あ、次は何期生だったかな?笑
逆視道の講座、まもなく募集が始まります。
それと、真解学10期生
1月14日10時半〜
オンラインオリエンテーションを行います。
詳しくはまた!
#逆視道
#八支則
#アヒンサー
#森沢明夫
命の意味を探し道を求める男が禅師に尋ねた。
「仏の説いた法とはいかなるものか?」と。
枯木裏龍吟
と禅師は答えた。
こぼく りの りゅうぎん
。。。。。。。。。。。
一見、「邪魔じゃね?」と感じる枯木たち。
もう葉をつけることはない。
その荒野に強風が吹いた。
葉をつけない枯木の枝の間を風が抜け、
グォーグォーと大地を揺らすような音が
荒野いっぱいに響き渡った。
その音はまるで天に舞う龍の鳴き声。
村人たちは強風が吹くたび、龍神の出現だ、と
よろこび祈りを捧げた。
枯木はただそこに在るだけ。
遠い昔、初めて大地より新芽を出して以来、
変わらずそこに在っただけ。
枯木は(私の命の意味は?)など考えない。
自分は何かの役に立っているのだろうか?
と自分の役割を探すこともしない。
けれど、かつては茂らせた葉で木陰をつくり
旅人を休ませただろうし、
子供達が木登りを楽しんだかもしれないし
鳥が巣作り、暮らしていたかもしれない、が
枯木は知らない。
ましてや朽ちた今、龍神の鳴声を自分が奏で、
村人に安堵を与えているなど全く知らない。
ただ芽吹き、
ただ光を浴びて生き、
朽ちる時を迎えただけ。
もし我々人間がこの枯木だったらどう?
きっと
自分の役割は一体何なのか?
自分は何の為に生きているのか?
ここにずっといて何か意味があるのか?
自分に価値などない。
と嘆き迷い、必死に何かになろうとして
もがき苦しむんじゃないかな。
枯木裏龍吟
こぼく りの りゅうぎん
生き抜いた一本の大木。
時に、旅人は休憩どころとして親しみ
或いは子供達の冒険の場所であって
或いは鳥達には安心して眠れる家であり
或いは村人たちには神として在った。
そう。自分の役割とは、
その時に縁ある対象が様々に見出すもので
自分で「私の役割はこうです」と
探し当ててゆくものではない。
作り上げるものでもない。
今生かされている、ということを証拠として
自覚の有無を超えて必ず何かの役に立っている
その「何か」は知らなくていいのだ。
というよりも、むしろ
知ることなどできない
のだと思う。
私と関わってくださる相手がいる。
それらの方々の人生において、この繋がりが
何らかの必要な縁だと思ってもらっているから
続いているご縁。だけれど、私の何をどう
必要と思われているのかは私のみが知らない。
百人いれば百通り。
自分がここに在る意味や役割は、
ご縁ある相手が相手の人生を通して見出している。
だからこそそれは
探すものではなく
また
探せるものでもないのだ
。。。。。。。。。。。
先日、ご高齢のおばあちゃんと出会った。
駅の階段で荷物が持てず困っておられたので
車内まで運び入れると偶然に下車駅も同じ。
シルバーカーを押して歩くおばあちゃん。
いわゆる手押し車だ。
梅田という駅はこのおばあちゃんには危険。
四方八方から人が荒々しくすれ違う。
なので改札口までお供したのだが、
その時に驚くことを言い出した。時刻は夕方。
今から関西国際空港まで行くという。
高速バスで関空に行き、航空券を買いたいと。
私はアポがあったので駅員さんに乗り場まで
エスコートしてほしいと頼んだ
のだけれど。。。
心がザワザワした。
なんだかすごく心が重くて、どうしたいのか
自分の心に問いを入れた。
すると(アポ、ずらしたら?)と言ってきた。
自分でビックリしながらも、先方に連絡。
あっさり了解サインがでた。
「おばあちゃん、
関空に一緒に行きましょう」
途端に心が軽くなった。よし。これでいい。
2人でバスに並んで座っていると
妙におかしくなって1人窓をみて笑った。
ターミナルであっちこっちと尋ねながら
ミッションを終了。するととんぼ返りで
大阪に戻るというので、再度2人でバスに。
色んな話をし、実はこのおばあちゃんの身分が
BIGおばあちゃんだと分かって驚いた。
後日、ご親族の方から御礼のメールが届き
国際パーティーに招かれることに。笑
。。。。。。。。。
大きな気付きを頂いた経験だった。
私はあの日、アポにいく予定だった。
目の前に入り込んできたご縁があっても
前もって決まっている予定があれば
必ずそれを優先する生き方だった。
けどあの時は先方に変更可能か尋ねたかった。
勿論、困ると言われたら従うつもりだったけど
「大丈夫ですよ、じゃあ食事しながらでも」
と、元々は先方の会社で会う予定だったのが
食事を楽しみながら会う約束にグレードアップ
された。
「今」には色んなご縁が溢れていてる。
けれど、数日前に仕込まれた予定の方が常に
優先されている。当たり前といえば当たり前。
そうやって人と関わり社会生活がある。
ふと思った。
我々は過去という時間軸に仕込んだ予定を、
数日の時差をもって体験する。
予定表とはその為だ。
自分の予定表を見たらぎっしり埋まっている。
これをなぞるように生きるのだけど、
その日その時に誕生するご縁の居場所は?
今のご縁をないがしろにして
時間差でやってくる過去の決定に
生きすぎでは?
自分でふと思ったことなのに、その考え方に
我ながらドキッとし、今を生きる、の意味が
ぐんと深まった感じでワクワクし始めた。
枯木裏龍吟
こぼく りの りゅうぎん
おばあちゃんは知らない。
目から鱗ジャリジャリ〜ほどの気づきを
他人に与えたことを。
私がここに書いたから、沢山の人が知って
気付きの連鎖がある。そのことを
おばあちゃんだけが知らない。
まさか自分が龍神様のように扱われてることを
枯木が知らないように。
「そこに自分らしく在る」だけで
尊い役割となっているんだ、と改めて思う。
。。。。。。。。
上記は先日の書画のお稽古で話した内容。
このブログのタイトル
《あなたの役割は◯◯◯が知っている》
◯◯◯に何が入る?^^
「まわり」
です。
《あはたの役割は周りが知っている》
だから安心の中でご縁と繋がっていたらいい。
自分でわからなくてもいい。
。。。。。。。。。。。
日々の予定に追われ心を見失いかけていた生徒
が想いを込めた作品を見せてくれました。
この作品も素晴らしいですね。
「あなたには大切な役割が宿る。
たとえ自分には見えずとも」
これもまた素晴らしい!
書画のお教室を初めて8年くらいかな。
法話を聞いてもらって、その心を表現。
大人のお稽古って感じですね。
ながーーく続けていきたいと思っています。
1番好きな時間かも。^^
新しく奈良でも始めます。
今回はキャンセル待ちですので、次回、
みなさん来てね。
。。。。。。。。
《ご相談》
私なんて何か存在意味があるのか、
そんなことばかり考えてしまいます。
何もできないし、パートの仕事も失敗ばかり。
この暗い気持ちを晴らしたいのです。
さて。
このブログをゆっくり読み返してみて。
じわ〜〜っと浸透するはず。^^
ひとつだけ。私がこの記事を書いたのは
Nさんが私へ相談をしてくれたから。
そうして読者の皆さんにこのブログが届きました。
老眼鏡せずにチマチマ打ったので、誤字が
山ほどありそ。お許しを。笑
目の前のご縁がちゃんと見えるように
歩みたいものです。
それではステキな午後を
。。。。。光静。。。。。
#枯木裏龍吟
#書画
#禅の言葉
そしてすぐ「わぁーー」と拍手がおこった。
講演会後に設けた懇親会で、長年遠くから
通ってくださる熟年ご夫婦の奥さま、
N子さんの発言にだ。
私も一瞬言葉が出なかった。
そしてN子さんの涙に打たれた。
………………………………
とあるキッカケでN子さんが私を発見し、
数年前からご夫婦で勉強会に参加され始めた
ソフトな話し方で爽やかな印象のご主人と
品が溢れ透明感のあるN子さん。
側から見る限り、ステキな仲良しご夫婦。
昨日の演題はオーソドックスな「感謝」
表面的ではなく細胞レベルから感謝した時
我々の人生に何が起こるのか
また心が感謝から遠のいたとき、
我々の人生から何が抜け落ちるのか
感謝の心を育むには、実はカラダの在り方も
大きく影響する人体の不思議を
実践を通して体感してもらう講座を行った。
思う。
感謝という言葉があまりにも簡単に使われ
それがもたらす計り知れない力への注目は
どこか置き去りにされている。
頭で知っている感謝と、細胞が震えるような
感謝では、人生がまるで違ってくる
奥行きのある感謝を人が抱いた時
なぜあらゆる煩悩が自制できるのか
なぜ不眠が解消されるのか
なぜ体が健康になるのか…他いくつかの
驚く変化とそのワケをお伝えした。
これこそが仏教の醍醐味だ。
あ、
今これを書いていて思い出した!
昔、あるプロダクションに所属していた時、
私のキャッチフレーズは
「感謝の伝道師 瀧本光静」
だった。笑。ウケる!( ̄▽ ̄)ダサい!
話しをもとへ。
そんなこんなで感謝という言葉の重みを
皆で今一度噛み締めたあとの懇親会。
賑やかな中、何がキッカケになったのか
Nさんご夫婦を楽しくイジるムードに。
私の講演会にはご夫婦で通われる方が多い。
自分の両親を思い浮かべてみると
あの両親が2人で同じ勉強をするなど
天地がひっくり返ってもありえない。
勉強どころか2人での外出も想像できない。笑
だから最初はびっくりしたのだ。
しかもまだ半人前の坊主が話す仏教ときた。
長年連れ添った夫婦で仏教を。。
責任を感じながらも素敵な在り方だなぁ。。
と切に思う。
誰かが質問した。
「熟年夫婦で勉強をするってどんな感じ?」
既婚者の参加者は、自分達の夫婦関係を想像
すると、絶対ありえなーいと笑った。
仲が良さそうに見えるかもしれないけど、
それはそれは色々と大変ですよホント!と
N子さんは笑った。。が
次第に日々の想いが溢れたのだろう。
フと表情が真剣になった。
そしてある思い出話をしてくれた。
私の講演会へ2人で向かっている道中、
些細なことで言い合いになり大喧嘩へ。
険悪ムード爆発のまま、あえてタイミングをずらし
会場入りしたこともあったという。
そのうち、N子さんの参加が止まり
ご主人だけの参加となったのだ。
当時、N子さんの欠席が続き、気にはなったが
そこには触れずにいたのを覚えている。
時間がそれらを許したのか、
お二人揃っての参加が再開されての昨日、
しみじみと語られた言葉に心打たれたのだ。
「先生がおられなかったら、
僕らは
もうダメだったかもしれない」
最初にご主人がこう言った。
この言葉に私はパンチをくらった。
目上の方からこんな言葉をお預かりするとは。
みんなは笑顔で聴いていたが、
私は密かに緊張した。
そう、緊張という言葉がピッタリだった。
(もっと自覚を高め、しっかりせねば。
皆は真剣に仏説の言葉を探しておられるのだ)
先生のお陰で…と続けて話されていたが
耳に届かないほどだった。
そしてN子さんが語り始めた。
夫に感謝していることがある、と。
声が震えている。見守る空気に変わった。
「私は夫に感謝していることがあります。
それは、
何があっても時間を作って
先生の勉強会に
通い続けて
くれたことです」
衝撃だった。
あえて離れた席に座っていたご夫婦。
斜め向こうに座るご主人も涙して
「いや、俺こそ…その…」と詰まらせ
本当にいつもありがとう、と
ポロポロと男泣きをみせた。
大きな拍手がおきた。
。。。。。。。。。。
ご主人はいつも家に帰ると、テキストを見せ
事細かに全てをシェアしてきたという。
それを聴くのが楽しみでした、とN子さん。
私は頭の中で、今まで作り上げてきた
講演会のテキストを猛スピードでめくった。
(何をお伝えしてきたのか)
私の勉強会に参加し続けた夫に感謝?
ずっしりとした何かを感じた。
。。。。。。。。。。
法話をするとき、いつも緊張する。
人前で話すことは今更カケラも緊張しないが
偉大なる釈尊の教えを、歪めてはいけない。
現代風にアレンジは施したとしても
勝手な解釈が入り込んではいけない。
その緊張をはるかに上回るN子さんの
言葉だった。
。。。。。。。。
真解学の10期にご夫婦で申し込まれるという
襟を正せ、光静よ!今一度!
感謝を教えて頂いたそんな1日だった。
心は見えないもの。見えなくても
しっかりと内にあって、あらゆるを感じる。
何を感じているのか、他人の心は見えないが
自分の心さえ理解し切ることは難しいのだ。
けれど時に思いもしない本当の自分の心と
出会うことがある。
弱さをひた隠しにしていた自分、
自分は凄い人だと演じたい自分、
幸せ者だ、と必要以上に表現したい自分、
どうも我々は「何者かにならないといけない」
と鎧を探す生き物だ。
しかしながら、それらは簡単に剥がれる。
何もかもが剥がれ落ちた時、
弱い自分が愛おしくなり
凄くない自分が可愛くなり
怯えている自分を許すのだと思う。
感謝の心、とは、
これらの「心の鎧」を手放すことができる
唯一無二の妙薬なのだ。
これからも精進しよう、と誓った。
それではステキな1日を!
……光静……
カラダが硬いメンズを踏みつけてやった。笑
深い話が台無しなんちゃう〜?笑
この一枚で!( ̄▽ ̄)
#感謝のこころ
#硬いカラダはだめよ