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慣れ親しんだ言葉を噛み締める時は成長の時かもしれない

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    瀧本です。
    ・・・・・・・・
    「こんな考え方、したことが無かった・・。
    とてもよく分かりました。

    2年後にお会いできる時には
    別人のようになっている私を
    期待していてください!」と彼女は言った。

    わかった。じゃあしっかりね!と席を立ち
    握手をしたとき「先生一つだけ、質問いいですか?」


    教育時間はすでにオーバーしていたので
    教官はまるで蚊をはらうような仕草で
    彼女を私から離そうとした。

    それを見て妙に私の心がざわついたので
    同じ仕草を教官にむかって返しながら
    どんな質問なのかと向き合って聞いた。
    今から受刑生活がはじまる彼女の質問を
    ないがしろにはできない。




    意外な質問だった。


    「お仏壇の前で手を合わすのはなぜですか?」


    『加奈、じゃあそれ以外に手を合わすのは
    どんな時?お仏壇の前以外にもあるでしょ』


    私はいつも名前をストレートに呼ぶようにしてる。


    えっと・・・・と考えた後、加奈は(仮名)
    またもや意外な答えを言った。


    「日の出!」


    私は大笑いをした。
    覚醒剤、窃盗を繰り返してきた彼女が
    朝日がのぼる時に合掌しているなんて
    想像すると、そのミスマッチが面白かった。


    「じゃあ他は?
    日の出以外はどんな時に手を合わせる?」
    まだまだあるぞ、とばかりに催促をしてみた。


    日常のあらゆるを想像していたのだろう。
    目をキョロキョロさせている。楽しそうだ。


    この面談が終わったら食事の時間やね?
    その時はどう?とヒントをだした。


    「あ!いただきます、の時です。」

    その他もヒントを出して
    彼女の口から答えさせた。


    ごちそうさま、の時

    ごめんなさい、の時

    ありがとう、の時

    お願いしますの時、が出た。



    一般的ではないと思うが、我々僧侶は
    「こんにちは」「さようなら」の時も
    合掌をする。


    おおよそ出揃ったところで加奈へ聞いた。

    『なぜ、これらの時に
    合掌という同じポーズをすると思う?
    どうやら共通点がありそうでしょ?』


    この問いにはノーヒントだ。
    絶対に彼女の思考から引っ張りあげたかった。


    A4用紙に私が書いたこれらの箇条書きを眺め
    真剣に考えている時に「先生、そろそろ・・」と
    横から教官が割って入ったので
    『あなたはどう思う?』と教官も巻き込んだ。

    えっと・・・と面食らいながら教官も
    思考しはじめる。


    面白い。どんな状況でも、人は問われると
    答えを探そうとする生き物だと改めて思う。


    パチンと両手をあわせ「感謝っ!」と加奈がいった。
    頭上に電球マークがみえるようだ。
    可愛らしい沈黙の破り方に私は苦笑した。


    『加奈、そうよ。よくわかったね。

    いいか、加奈。よく聞いて。

    合掌をする心を人生にとり入れなさい。
    これからの人生に取り入れるの。

    今、合掌をしてみて。』


    教育の時間はとっくにオーバーしていたが
    鉛筆と新しい用紙を出して
    合掌をしている彼女の前に置いて言った。


    『加奈、合掌をしたままこの用紙に
    鉛筆で感謝という字を書いてごらん』


    え?えっと・・・





    か、書けません・・・



    『じゃあ、合掌をしたまま
    その用紙を半分に折って。できる?』



    いえ、それも出来ないです・・・



    私は必ず伝わってほしい内容に関し
    くどく感じるかもしれないが
    角度をかえて例えを2度くりかえす癖がある。
    講演会や法話の時は、軸を変えずに3度、4度と
    例え話を重ねるようにしている。





    『加奈、合掌という姿はね、
    もうこれ以上は一切何も求めません、という
    欲を手放した尊い姿を表しているの。』

    え?目を大きくしている。


    食事をする、ということは、目の前の食材が
    命をなげうって私たちを生かしてくれる。

    その御命をいただく。
    これ以上は何も望みません、
    その御命を頂戴することで
    今日の自分の役割をしっかり果たしますという
    決意表明が食前の合掌だ。


    ありがとうの時に手をあわせるのも
    これ以上のことは望みませんという
    相手の施しに対する無上の感謝。


    こんにちはの時の合掌も同じ。
    今、互いに生きていて、出会うことができた、
    その素晴らしさへの感謝なのだ。


    これらを私が用紙に書きながら
    『合掌って素晴らしいでしょ?
    加奈、あなたの人生にはこれが無かった。
    あなたの愚かな生き方に足りなかったのは
    この心のこと。
    刑期を活用してこの心を養っておいで。
    その為の受刑生活よ。しっかりね。』

    うんうん、とうなずく彼女は泣いていた。
    教官もメモをとっていた。

    私が目で合図をすると
    起立っ!と別の教官が空気を割り
    加奈が直立し背筋をのばし
    礼っ!の号令で
    教育された45度のお辞儀をした。


    じゃあまた、と廊下に出て何気にふり返ると
    閉じられていく扉に向こうに
    合掌をしてこちらを見る彼女が見えた。

    私も扉が閉まりきるまで彼女にむかって
    合掌をした。
    ・・・・・・・・

    私たちは求めすぎている。
    目の前にあるモノで満足しない。
    なぜだろう。


    いつもはタクシーで帰宅するけれど
    昨日は随分と歩いてから電車を使った。
    今、私は松葉杖を使って歩いている。

    昨日までは不便だと思っていたけれど
    歩けていることに感謝をしながら
    一歩一歩丁寧にあるいた。


    仏教の中でも認知度の高い言葉
    =少欲知足=

    欲を少なく保って、
    今与えられているモノで
    充分に満ち足りていることを知ること。


    どれほど勉強をしても
    全く身に染みていない自分を改めて知った。


    慣れ親しんだ言葉にハっとして
    まるでそれが初めて出会った言葉ように
    感じることがしばしばある。
    そういう時に、人は成長できるのかもしれない。
    そう思った。



    私は総じて幸せ者だと今思っている。

    沢山の方々によって、
    いろんなものによって
    もたらされている幸せを
    カッコでくくってしまうのではなく
    一つ一つしっかりと見える人でありたい。




    カッコでくくると「一つ」の感覚に
    なってしまうのではないか、と
    定食屋に入って焼き魚定食を食べながら
    そんなことを考えた。
    定食としてまとまってトレイにのっているけれど
    バラしてみるとご飯、いくつかの小鉢、味噌汁
    とそこには「たくさん」あった。




    何事もまとめてみてはいけない。

    丁寧に丁寧に生きていこうと思う。


    それではまた。(^^)
    合掌多き1日でありますよう。

    ・・・kousei・・・



    お仏壇の前で手を合わせるのは
    このお預かりしている命以外には
    何も求めません、と
    命の重みを感じるためだと思っています。

    おしょーにん * - * 09:56 * comments(0) * -

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