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言葉を一定に保つ、ということ

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    瀧本です。

     

    弟子が贈ってくれた

    プリザーブドフラワーを指さして

    「見てごらん、これ。綺麗でしょ」と、いうと

    「生花のほうが良くないですか」と彼女はいう。

     

    「この部屋は陽当たりが良すぎて

    室内でも日焼けするんよね」

    と言うと「陽が入らない暗い部屋より良い」

    ときた。(笑)

     

    オモシロくなってきた。

     

    もう一回だけ投げかけてみることにした。

     

     

    「お土産にくれたこのお煎餅とてもおいしいね」

    にしてみた。

     

    「普段はあまり食べないのでわかりません」

    がきた。

     

    さらにもう一回検証。

    「おやつって食べないの?」

     

    「太りたくないんで」と。

     

     

    25歳女性。母親と一緒に来た。

     

    対人関係に問題がある、と

    小学生の時から担任に言われ

    あらゆるカウンセリングや専門家を経てここへ。

     

    すでに1時間お話ししたあと、

    梅田で友人と約束があると言って、彼女は先に退室。

     

    母親との個人面談になった。

     

    おおすじの相談内容はこう。

     

    思春期あたりから対人関係がもつれてばかり。

    人との会話を楽しむことができず

    何かとトゲのある反応をする。

    友人はおらず、職場でも上司に同じ態度。

    親として我が子の将来が不安。

    幸せな結婚もしてほしい。

    精神科医の先生に瀧本先生のことを聞いた、と。

     

     

    娘と私との1時間の会話を聞いて

    どう思ったのかを母親へ質問すると

     

    「あの通りとにかくワガママで、

    相手の言葉を素直に受けることをしない。

    先生、なぜいつもマイナス思考の中で

    あの子は生きているのでしょうか。」

     

     

    さて、と。

    ブログにこの面談の全貌を書こうとすると

    一冊の本ができてしまうので

    今回は結論だけ記しておこうと思う。

     

     

    私が母親へ返した一言で顔色はかわった。

     

     

    「彼女はマイナス思考の中で生きているのでは

    ないですよ。

    彼女が生きているのは

     

     

     

    「過去の中」です。

     

     

     

    その過去というのは、

     

     

     

    あなたが彼女へ言った言葉

     

     

    のこと。彼女はマイナス思考のつもりではなく

    ああいう反応しか知らない。

    それは、あなたが教えた反応。」

     

     

     

    私は母親に納得してもらえるよう

    母親の心にタネを一つ撒いておこうと思い、

    こう言ってみた。

     

     

     

    「このお煎餅、つい勢いで

    3枚も食べてしまったけど、実は・・

     

     

     

    全くおいしいとは思わない」

     



     

    と。

     

     

    え・・・・・?

     

     

     

    種を撒いてから以下を詳しくお話しした。
     

     

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    我々は幼少期に養育者との関わり方によって

    その後の対人関係、距離の取り方を習得します。

    その習得結果はストレンジシチュエーション

    といって大きく4種類に分けられる。

    ブログでは難しい説明は省略するとして、

     

     

    例えば、

    お皿をキッチンまで運んだら

    母がとても褒めてくれた・・

    すると子供は、チャンスあらば自ら進んで

    お皿を運びたくなりますよね。

    また褒めてもらいたいから。

    そして褒めてもらえるといい気分です。

     

    子供はそうやって、スクスクと

    自己肯定感を築き上げていきます。

    自己肯定感を育めた子供は、

    自分だけでなく、他人を受け入れることも

    できるようになる。そして

    自分は愛される価値がある、と自覚して

    生きていきます。理想的な人格形成ですね。

     

     

    ところが

    自己肯定感が構築できないケースがある。

    それは養育者の「反応」にかかってる。

     

     

    お皿をキッチンまで運んだら

    すごくお母さんに褒めてもらえた・・

    愛される手段を見つけた子供は、

    翌日もせっせとお皿を運ぼうとします。

    当然ですね。

     

    ところが、同じようにお皿を運んだのに

    母親が何もいってくれない・・

    または

    「落とさないでよ。お皿を割らないで」と。

     

     

    よし!褒めてもらえる、と

    確信していた行動だったはずなのに

    褒めてもらえないどころか、無視されたり

    怒られたりする・・

     

     

    このように、


    養育者の反応が一定していない場合


    お皿を運ぶ、という行為が

    いい事なのかそうでないのか

    人を喜ばせる行為なのかそうでないのか、の


    分別ができなくなり


    自己肯定感は育まれず

    常に疑心暗鬼で自分に自信がもてない。

     

    愛される行動と相手を怒らせてしまう行動を

    分けることができなくなってしまい


    一貫した判断ができなくなる

     

     


    子供だけではないですね。

    我々大人だって同じ。動揺します。

    子供も大人も誰もが承認欲求をもっています。


     

    一度、認めてもらったことは

    二度目も承認されて当然、と強く期待する。

     


    だから相手の反応にバラツキがあると

    小さなパニックをおこします。

     

    判断基準が崩壊してしまうのですね。

     

     

     

    今回、3人で会話を始めたとき、すぐに母は

    娘へもっと大きな声で返事しなさい、と言い

     

    段々と心を開いてくれたあたりから

    少しだけ笑う瞬間もあり

    スムーズなやりとりになってきたとき

    なんと母親は娘へ

    「大きな声で笑うのはやめなさい」と

    言ったのです。

     


    面談がはじまって10分もしない間の出来事。

    母親が娘へみせる一定しない日常の対応が

    どれほどの頻度なのかがうかがえます。

     

     

    母へ質問しました。

     

    「私が、美味しいと言って食べたお煎餅を

    おいしくない、と真逆の意見へ変えたとき

    どうでしたか?」

     

     

    これが撒いておいた種でした。

    どうか理解してほしい、と祈る思いで。

    すると母親は

     

     

    『最初は、もしまた先生にお会いできるなら

    この老舗の他の種類のも買ってこようと・・

    けど、今は洋菓子がいいのかとか。。。

    というか、何を買ったらいいのか

    ちょっと怖いですね。

    次は持ってこないかもしれません。』

     

     

    よし、次回も!と思った歓びが

    不安から恐怖へかわり、しまいには行動自体を

    回避したくなったわけです。

     

     

     

    『あ・・・・・』と黙られました。

    ご自分の心を観察され、険しい表情をしながら

    納得されていくようでした。

     

     

    その後、よく話し込んで

    充分に理解してもらったと思います。

     

     

    個人的なことですが

    ストレンジシチュエーションを大学で学んだとき、

    やっと、本当の意味で

    母親を客観視できたように思います。

    幼少期、褒めてくれたことを繰り返すと、

    本当にずっと叱られていましたから、

    母のことを得体のしれない人、

    としか見ていませんでしたね。(笑)

     

     

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     

     

    私達人間は、

    自分の心の状態にまかせた発言を

    しすぎる生き物だと思う。

     

     

    心の安定時は物事を肯定的に判断できる。

    けれど、不安定なときは、

    評価がひっくり返ることがる。

     

     

    大人の我々でも、他人から、

    それいいね、と言ってもらえたバッグや

    お洋服はお気に入りになるもので、

    さらにそれが自分の「行動」に対して

    褒めてもらえたりすると

    その行為そのものをお気に入りとして

    繰り返したくなる。人格形成の段階ですね。

     


    けれど、

    そのお気に入りを作ってくれた相手から

    後日、同じモノを否定されてしまったら

    判断基準が崩壊してわからなくなってしまう。

     

     

    だからこそ、仏教は

    他人の評価を自己価値の指標にしてはダメだよ、

    すべて自分次第だよ、という。

     

     

    しかしながら、今回のケースは養育の段階。

    絶対的非力な幼少期は、親が全てであるから

    あらためるのは母親側、大人側の課題。

     

     

    意外にも

    友人とお茶をすませた娘が戻ってきたので

    もう一度3人でじっくりと話し込みを。

    とてもいい話し合いができたと思います。

     

     

    私達は一喜一憂しながら生きてしまうため、

    その都度、発する言葉の温度が違ってしまう。

    言ったほうは覚えていなくても、

    言われたほうは深く刻むものです。

     

    やはり何と言っても、

    安定した心を養うことが大事。

    安定した心が、安定した言葉をつくる。

     

    とはいえ、心を常に静寂にとどめるのは、

    なかなか難題( ̄ー ̄)

    けれど「安定した言葉」の方は

    今すぐに実践を始められそうですね。


     

    なぜ一貫しない態度で養育してしまうのか、

    についての養育者側を対象にした

    あらゆる研究結果がありますが、

    機会があればまた書いていきます。

     

    大学のノートを見直しておきます。

     

    中途半端な記事になりましたが、

    今回、面談に来られた方は

    読み直してくれると、ご自身を

    客観視できると思ったので。


     

    もうすぐ面談の方が来られる時間。

    なんと、85歳の方が。

    有意義な時間になるよう努めたいと思います。

     

     

    それではステキな一日を!

    ・・光静・・




     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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