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不安を持ったまま安心する、ということ

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    瀧本です。


    はてさて、不安がない状態を我々は

    実現できるのでしょうか?


    不安解消法のコツは、 

    ここでも多く書いてきました。

    お釈迦さまも山ほどの智慧を残されています。


    なぜ山ほどの教えがあるのか、

    それこそが答えですね。(^_^)


    一時的に軽減させることはできても

    不安を根こそぎ消滅させることは

    無理だからです。( ̄ー ̄)



    えー、そんなん辛いじゃん(T . T)


    唯一の解消法は


    =不安という心理が

    どこからくるのかを知ること=


    すると


    不安なまま安心できます。


    さて、見てみましょう。どこからくるのか。


    それはズバリ


    [不安は、何かに期待をした時に

    もれなくセットで生まれる]


    ということ。


    長生きしたい、と思った途端に

    病気になったら…と不安が生まれ


    愛する人と出会った途端に

    別れたくない、と不安が生まれ


    駆けっこで優勝したい、と思った途端に

    ずっこけたらどうしよう、と怖くなる…


    瀧本は子供の頃は運動会で常にアンカー

    だったので、運動会は楽しみよりも勝負の世界。

    前の日の夜は緊張と責任で眠れなかったですね。

    学校が燃えてしまえ、と思ったことも。笑


    ビリを自負してた斉藤くんは

    とても楽しそうでした。

    つまり


    不安は希望と大の仲良し


    なのに、希望だけ残して不安を消そうと

    イジり倒す努力は不可能というもの。

    まるで雪だるまを転がしてることと同じ。

    不安はモリモリ巨大化していきます。


    「考える」という作業が

    全ての答えを導く、と過信してはダメ。


    正面から向き合わない方がいいことも

    あるのです。それがこの「不安」


    じゃあどうするのさ?




    放っておく


    これだけです。


    不安は、次の不安を見つけ出し、

    手を取り合って群生化する習性があるので

    下手にイジくり倒さない。放置プレーする。


    仏教からすれば、不安は風邪と同じ。

    誰もが簡単にかかってしまう病です。


    ここで間違ってはいけないのは、

    不安に対して打つ手がないのではなく


    「放っておくという実践」

    をする。



    私は

    (あ、私、不安を抱いたな。)と気がついた時


    何に対して不安なのだろう…の方向ではなく


    何に期待をしたのかな?^ ^

    と反対を見つめるようにしています。


    どうせ消さない不安なら、

    眺める景色は好ましい方を見て楽しむ!


    しかしながら、この好ましい景色さえ

    幸か不幸かすぐに移り変わっていきます。


    お釈迦様がいわれた「放っておく」の意は

    諸行無常の世に任せる、ということ。


    さ、

    もし今、何か不安を持たれているなら

    その反対側を味わって、そして

    消えゆくまで楽しんでください。



    不安のままで安心!


    お試しあれ。^^


    さて、と。出かける準備しなきゃ。

    心だけはウイルスに侵されるないように

    仏法というマスクをお忘れなく。


    それでは素敵な一日を!

    ……光静……




    おしょーにん * - * 09:28 * comments(0) * -

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