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おばあちゃんという仏様

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    瀧本です。

     

    朝からクリニックへいくと

    なんと4時間も待つことになりました。

    まだ待ってます。笑

     

    再び膝の激痛。

    年齢を感じますね。あちこち痛いです。笑

     

    先日、105歳になるおばあちゃんのお見舞いへ。

    2年前に会いにいった時、

    と本人のリクエストにより回転寿司へ。

    私より高くお皿を積み上げて

     

    「死ぬまで自分で排便しなアカンよ。

    自分で歩いて排便も食事もしなアカン。

    人生の責任なんやで。」

     

    私の人生の格言に追加されました。

     

    そのおばあちゃんが骨折で入院。

    「一気にボケてしまうから、覚悟を」と

    ドクターに言われてはいたけれど。

     

    歩けなくなり、寝たきりとなったおばあちゃん。

     

    一切の食事をしない、と主治医から聞かされ

    病室に入ってみると、小さく小さくなった

    おばあちゃんが眠っていました。

     

    枕元に並べてある沢山の仏様の絵。

     

     

    手を握って、「ばぁちゃん、来たよ!」

    と耳元で語りかけると、

    弱々しくチョンチョンっと指先だけで

    握り返してくる。

     

    聞こえている。理解している。

     

    脱水にならないように、本人は、

    点滴だけは受け入れている様子だった。

     

    食事をしない理由。

    それは、

    おばあちゃん流、命の返上。

    その意思表示、実行だとわかった。

     

    「自力で排便、食事、歩行ができなくなったら

    私はお迎えに来てもらうように

    仏さんと約束しとるでな。」

     

     

    おばあちゃんに顔を寄せて

    「ばぁちゃん、あの仏様との約束が

    今ってことなん?」と聞いてみると

    チョンチョンっと返事。

     

    偉大な人だと感動。

     

    チョンチョン、の返事があったかと思うと

    次の呼吸は小さなイビキ。

    意識が朦朧としてる。

     

    105歳。

     

    沢山見送ってきたお友達の姿が

    きっと見えているのだろう。

     

    穏やかな病室の空気だった。

     

    仏教は言う。

     

    人生の最後に行う布施行、それは

    床座施(しょうざせ)

     

    自分の場を他人へ譲る布施行だ。

     

    電車で座席を譲ったり

    順番を譲ってあげたり。

    あるいは、意見、立場を譲ること。

     

    そして、我々が肉体を手放すということ、

    この命の返上は、

    次に生まれ来る新たな命に場所を譲るという

    一世一代の床座施。

     

    我々はいつか必ずこの大仕事をする。

     

    それがいつなのか、仏様は教えてくれない。

     

    意地悪ではない。

     

    いつなのかが分かっていない方が

    大切にできる。

    愚かな私達が「今」を大事にできるように、と

    粋なお計らい。

     

     

    時々、薄っすらと目を開ける時があり

    字を書いた紙を見せると理解する

    というから、枕元にメモを残した。

    担当医がばぁちゃんに見せてくれるだろう。


     


     

     

    こう書いたけれど、

    次に会うのは仏国で、かもしれないな。

     

    昨日の法話会の最後に、この話をしたら

    ちょうどお誕生日の方がいて

    「誕生日に聞くべきお話しでした。

    ありがとうございます」と

    涙しながら言って下さった。

     

    私は月度がかわるたび、

    新しい月のスケジュール帳に

    1440という数字を書く習慣がある。

     

    1440分。これが一日の長さだ。

     

    1分、という時間を意識したいから。

     

     

    思います。

    毎朝5分の動画をサロンメンバーへ配信

    しているときに痛感する。

     

    5分で伝えられる内容は

    驚くほど多いものだ。

     

    いずれ迎える人生の終焉に

    私は何を語りたくなるのだろう。

     

    もし、最後の動画を収録するなら

    何を語ろうとするのだろう。

     

    もし、ラスト1分あるなら、

    その1分で何を語るのだろう。

     

    ばぁちゃんの枕元でそんなことを

    ずっと考えてた。

     

    1440分。

     

    1日は、1分を1440回も繰り返すことが

    できる。すごい。

     

     

    さ、

    心を過去や未来に旅させている場合じゃない。

     

    今をしっかり観て、感じて、

    連続して訪れる今を愛そう。

     

    それでは、素敵な1日を!

    ……光静……

    サロンメンバーの皆様へ。

    クリニックにいるので、動画がとれませーん。

    ( ̄▽ ̄)

    ごめんなさーーい!

     

     

     

     

     

     

     

     

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