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無常を認める、ということ

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    瀧本です。
    今、数名の弟子たちが毎日頑張って
    喜びと試練の中でブログを書いています。


    先日から新たにスタートした弟子のブログを
    紹介します。

    通称トミー。

    人生の葛藤や、職場での人間関係で苦しみ
    それに導かれてお勉強会に来てくれるように
    なりました。とてもキュートでまっすぐ、
    そして不器用な女性です。笑笑


    彼女が私を通して得た仏教の気づきを
    自分のために連続でブログ更新。


    またよかったら覗いてみてください。


    トミーのブログ


    さて。

    お釈迦様の言葉にこうあります。


    「不安な中で安心しておきなさい」


    不安という妄想を追ってはいけない。
    不安でいいのだ、と。


    お預かりするご相談の中に必ず含まれる
    ワードがあります。


    それがその
    「不安で……」というワード。


    大事なのは
    不安を無くすことではなく
    この世は無常であるという真理を認める勇気

    です。

    不安定、とは
    どのような状況を指し示すのか。

    それはまさに「安定していない有様」です。


    そう。定まることなく揺れ動いている有り様。


    この世の全ては揺れ動いています。


    我々の細胞も、大自然の営みも
    そして、あなたの心も、です。


    「私はこういう人間だ」と、性格を提示しても
    明日、同じ思考でいるかは測れない。


    自分の心さえ安定させることはできないのです。


    とすれば、他人を定義するなどもってのほか。


    結婚したからといって、
    パートナーが変わらぬ笑顔で対応してくれる
    など思ってはいけない。


    互いが信じ合って仲良く暮らすのも
    1日1日のまさに勝負です。


    そういう世界に我々は住んでいる。


    これが仏教の代表的な教え
    諸行無常です。



    この世界は何もかもが無常であることを
    認める勇気を持つなら
    ほとんどの苦しみは失せるはず。



    連続する人生の出来事から気付きを得て
    「こういう場合はこうしよう」と
    無常の世界を智慧を持って渡れるように
    ブッダの具体的な行動学を活かすこと。


    お祓いをしたり、
    何かにすがって不安を消そうとするのは
    責任逃れです。


    全ては具体的行動によって安定なきこの世を
    無事に生きていく。教えはそのために
    残されました。

    ……ご相談内容……
    彼に裏切られ怒りがおさまりません。
    鏡の中の歳をとってきた自分を見ると
    これから先が不安で不安で。
    その他、辛いことが続くので
    お祓いにいこうかと思っています
    …………

    まず、起こった事を受け止める。


    そして、相手が自分を
    裏切らなくてはならなかった原因が、
    自分の中にあるかもしれない、という思考から
    自分をよく観察する。


    原因が見つければ、それを取り除いて
    新たな一歩をだす。


    そうやって、立派に一人で歩む力を
    無常に過ぎ去る体験から養っていくことが
    幸せへの道である、と仏教は説きます。


    無常のこの世のを力強く歩むコツは
    無常という真理を認めることです。


    さて、と。
    午後から冷え込んできましたね。

    今夜は逆視道の講座。
    東洋思想の「時間」を学びます。
    参加される皆さん、お楽しみに。


    それではステキな1日を!
    ……光静……



    今日のサロン配信は
    「大自然界の慈悲に気付く」をお届けしました。
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    あ、次回の奈良のこころ道は3月22日です。
    本当に楽しい会。
    是非。




     

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