自分へ耳を澄ます、ということ

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    瀧本です。


    お釈迦さまのお言葉を書きたくなって

    筆をとった。


    「悪を犯す時、

    無知な人はそれが赤業だと気付かない

    しかし自らの行為によって

    智慧のない人は

    火傷したように苦しむ」



    苦しいな、辛いな、と感じる事があったとき、

    あの人が…、

    あの事が…、

    と犯人を捜すのがクセになってる我々に

    釘を刺すような厳しい言葉。


    でも、

    ひょっとしたら意味があるのかも?

    これによって何かに気付け、と

    メッサージがあるのかも?、と

    傍観してみると、必ず学びがある。


    冷静に自分を客観視すると、

    訂正すべき自分の行いが浮き彫りになる。



    ある方へ向けて更新しました。

    このお釈迦さまの言葉によって

    導かれて頂ければ…と。


    抽象的な記事になりましたね。


    でも、届いていると信じています。

    ……光静……








    おしょーにん * - * 22:40 * comments(0) * -

    二度目の道は自己責任、ということ

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      瀧本です。

       

      クリニックの待合室から更新です。

      ヒジが限界。熱をもってしまって激痛。

      今からでっかい注射。涙

       

      待合室はおばあちゃん達でいっぱい。

       

      魅力ある情報交換が行われている。

      私の年代では、まだ未開発の話題。

       

      シルバーカー、いわゆる手押し車の

      選び方のお話をされているおばあちゃん。

       

      思わず聞き入ってしまった。

      待合室でのシルバーカー講座。

      我々では気が付かないハイレベルな視点だ。

      いつか自分が購入する時期が来たら

      思い出して参考にしよう。

       

      それ以上に勉強になったおばあちゃん講座が。

       

      それは

      「危険な段差は3センチ以下の段差である」

      という講座内容だ。

       

      身長150センチ位のおばあちゃんだと

      弱っている視力で見る足元までの距離は

      140センチほと。

       

      140センチ向こうにある3センチ以下の段差は、

      なんとフラットに見えるというのだ。

       

      思わずおばあちゃんの言葉を

      メモしたのがこれ。素晴らしい。

      「歩行時に爪先が上がらないから

      私ら年寄りはよく転んでしまう、と

      思われがちやけどちゃうのよねー。

      見えてないのよ、段差が。

       

      ここの玄関もシルバーカーのために、

      スロープになってるけど、

      すごく怖いスロープなんやで、これ。」

       

       

       

       

       

       

       

      私が座ってるところから撮ってみた。

      フラットにみえる。

      反対側から撮ってみた。

       

       

       

       

       

       

      段差がある。

      けれど、これがおばあちゃんには

      見えないというのだ。

       

      スロープだと思って安心しているときに

      不意打ちにバランスを崩すのはかなり怖い。

       

      おばあちゃんいわく

      5センチ以上の段差の方が安心して

      心構えをしながら歩行できる、というから

      ビックリした。

       

      近未来、自分もそれを体験するのだ。

       

      さらにおばあちゃんのキラリと光る言葉が。

       

      おばあちゃんは横に座った若い患者さんも

      巻き込んでこう言った。

       

      「だからな、肝心なことは

      覚えておく、ということなんや。

       

      一度通った道を、しっかり覚えておく。

       

      ここに段差がある、と覚えておく。

       

      一度目は仕方ない。せやけどな、

      二度目は自己責任なんや。

       

      何事もな、経験して覚える。

      何歳になっても経験して覚えるんや。

       

      人生とな、同じなんや」

       

      拍手しそうになる心を抑えた。

      お釈迦さまが待合室におられるのか、と

      思ってしまった。

       

       

      お釈迦さまの言葉を思い出した。

       

      「賢者は一つの体験から十の気づきをする。

       

      愚か者は一つの体験から十の愚痴をいう」

       

       

      ずーーーーーっとおばあちゃんの世間話を

      聞いていたかったが、名前を呼ばれ

      診察室へ。

       

      ……と、ここで皆さまへ報告を。

       

      手術が必要、との診断。

       

      ドクターからまさかの言葉。

      「よくこの状態で生活してたね。

      我慢にも程がありますよ。

      お箸も持てないはずやな、これは。」

       

       

      ( ̄ー ̄)えー…

      昨日、コンサートでピアノも弾きました…

       

      確かにあぶら汗が出るほど痛かった。笑笑

       

       

      ってなわけで、なんと

      しばらくの入院が必要とのこと。

       

      ヒジなのに??というと

       

      全身麻酔でかなり大掛かりの手術だとか。

       

      1週間以上の入院になるそうな。マジかー!

       

      今日以降、講演会等が目白押しなので

      ご迷惑をかけないタイミングをみて

      入院します。ご迷惑をおかけします。

       

      =人生は経験をして智慧をつける=

       

      この経験を通して、

      おばあちゃんの姿をしたお釈迦さまの

      言いつけを守りたいと思います。

       

      それではステキな1日を!

      ……光静……

      昨日は、全国からお集まり下さり

      本当にありがとうございました!

       

       

       

       

       

       

       

       

      おしょーにん * - * 11:59 * comments(0) * -

      おばあちゃんという仏様

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        瀧本です。

         

        朝からクリニックへいくと

        なんと4時間も待つことになりました。

        まだ待ってます。笑

         

        再び膝の激痛。

        年齢を感じますね。あちこち痛いです。笑

         

        先日、105歳になるおばあちゃんのお見舞いへ。

        2年前に会いにいった時、

        と本人のリクエストにより回転寿司へ。

        私より高くお皿を積み上げて

         

        「死ぬまで自分で排便しなアカンよ。

        自分で歩いて排便も食事もしなアカン。

        人生の責任なんやで。」

         

        私の人生の格言に追加されました。

         

        そのおばあちゃんが骨折で入院。

        「一気にボケてしまうから、覚悟を」と

        ドクターに言われてはいたけれど。

         

        歩けなくなり、寝たきりとなったおばあちゃん。

         

        一切の食事をしない、と主治医から聞かされ

        病室に入ってみると、小さく小さくなった

        おばあちゃんが眠っていました。

         

        枕元に並べてある沢山の仏様の絵。

         

         

        手を握って、「ばぁちゃん、来たよ!」

        と耳元で語りかけると、

        弱々しくチョンチョンっと指先だけで

        握り返してくる。

         

        聞こえている。理解している。

         

        脱水にならないように、本人は、

        点滴だけは受け入れている様子だった。

         

        食事をしない理由。

        それは、

        おばあちゃん流、命の返上。

        その意思表示、実行だとわかった。

         

        「自力で排便、食事、歩行ができなくなったら

        私はお迎えに来てもらうように

        仏さんと約束しとるでな。」

         

         

        おばあちゃんに顔を寄せて

        「ばぁちゃん、あの仏様との約束が

        今ってことなん?」と聞いてみると

        チョンチョンっと返事。

         

        偉大な人だと感動。

         

        チョンチョン、の返事があったかと思うと

        次の呼吸は小さなイビキ。

        意識が朦朧としてる。

         

        105歳。

         

        沢山見送ってきたお友達の姿が

        きっと見えているのだろう。

         

        穏やかな病室の空気だった。

         

        仏教は言う。

         

        人生の最後に行う布施行、それは

        床座施(しょうざせ)

         

        自分の場を他人へ譲る布施行だ。

         

        電車で座席を譲ったり

        順番を譲ってあげたり。

        あるいは、意見、立場を譲ること。

         

        そして、我々が肉体を手放すということ、

        この命の返上は、

        次に生まれ来る新たな命に場所を譲るという

        一世一代の床座施。

         

        我々はいつか必ずこの大仕事をする。

         

        それがいつなのか、仏様は教えてくれない。

         

        意地悪ではない。

         

        いつなのかが分かっていない方が

        大切にできる。

        愚かな私達が「今」を大事にできるように、と

        粋なお計らい。

         

         

        時々、薄っすらと目を開ける時があり

        字を書いた紙を見せると理解する

        というから、枕元にメモを残した。

        担当医がばぁちゃんに見せてくれるだろう。


         


         

         

        こう書いたけれど、

        次に会うのは仏国で、かもしれないな。

         

        昨日の法話会の最後に、この話をしたら

        ちょうどお誕生日の方がいて

        「誕生日に聞くべきお話しでした。

        ありがとうございます」と

        涙しながら言って下さった。

         

        私は月度がかわるたび、

        新しい月のスケジュール帳に

        1440という数字を書く習慣がある。

         

        1440分。これが一日の長さだ。

         

        1分、という時間を意識したいから。

         

         

        思います。

        毎朝5分の動画をサロンメンバーへ配信

        しているときに痛感する。

         

        5分で伝えられる内容は

        驚くほど多いものだ。

         

        いずれ迎える人生の終焉に

        私は何を語りたくなるのだろう。

         

        もし、最後の動画を収録するなら

        何を語ろうとするのだろう。

         

        もし、ラスト1分あるなら、

        その1分で何を語るのだろう。

         

        ばぁちゃんの枕元でそんなことを

        ずっと考えてた。

         

        1440分。

         

        1日は、1分を1440回も繰り返すことが

        できる。すごい。

         

         

        さ、

        心を過去や未来に旅させている場合じゃない。

         

        今をしっかり観て、感じて、

        連続して訪れる今を愛そう。

         

        それでは、素敵な1日を!

        ……光静……

        サロンメンバーの皆様へ。

        クリニックにいるので、動画がとれませーん。

        ( ̄▽ ̄)

        ごめんなさーーい!

         

         

         

         

         

         

         

         

        おしょーにん * - * 13:09 * comments(0) * -

        私達は逆をしている、ということ

        0

          瀧本です。


          不自讚毀他戒


          という言葉が今日の書画のお題。
          この言葉と出会ったのは20年以上前だ。
          心から大切に思っている。




          自讚、とは、自分に自惚れること。
          毀他、とは、他人を下げること。


          これらを「不」
          つまり、行ってはダメだよ、という
          「戒律」を示す言葉。




          我々は、心ちゃんと見張っておかないと
          自分の慢心を味わえるタイミングを探し、
          あるいは、他を下げる作戦を思案する。




          いずれの目的は一つ。


          あいされたいのだ





          仏教はいいます。


          自讃しないものが愛されるのだよ。
          毀他しないものが愛されるのだよ、と。




          我々は真逆を行ってる。
          ほんっと愚かだなぁ。( ̄▽ ̄)




          この教えをそのまま読むと、


          「ふじさんきたかい」


          初めて聞いたとき、とても癒された。






          「不自讚毀他戒」
          ふじさんきたかい


          「富士山、来たかい?」


          笑笑






          自惚れない心。
          他をさげすまない心。


          忘れずに歩みたいなって
          今夜も深く思いました。


          大好きな書画のお教室。



          各々に好きな表現を。






          今、目の前で弟子たちが書いている最中に
          ブログの更新をしました。笑


          それではステキな夜を
          ……光静……


           

          おしょーにん * - * 20:13 * comments(0) * -

          目の前の出来事を「今」の時間軸でみる、ということ

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            瀧本です。


            私と同じ病を発病された方から
            心の保ち方を教えて、と沢山のメールを
            頂いていました。
            時限爆弾を持ち歩いているような
            恐怖を感じておられると思います。
            わかります。




            解離性動脈瘤


            動脈が破裂する病。




            素直に今の私の心をお伝えしようと思います。


            確かにこの病気になってから、日常の
            些細な行動において、気を配るべきところが
            沢山あります。


            最も注意をしているのは、
            血圧の急激な変化に繋がる行動を避けること。


            特に、毎日の入浴と排便に気を配っています。




            突然熱い湯船に入るのではなく
            ぬる〜いお湯に入って、少しずつ温度を上げます。
            その為、仲間と温泉旅行に行っても、
            大浴場の湯船は個人的な温度調整ができないため
            大浴場には行かず部屋風呂で。
            (温泉に入らない温泉旅行。笑笑)


            それでもガッツリ楽しみます。
            浴衣を着て、皆で宴会会場でお膳を頂くのは
            本当に楽しいですよね。


            (わぉ!書いている今、行きたくなってきた!
            企画しようっと!
            皆さん、一緒にいかない?笑笑)




            そして、排便に関しては絶対にキバらない。
            ユルイ状態の排便ができるように
            食べ物に気を付けています。




            当初はGがかかる飛行機や新幹線の移動を
            控えるように指導されましたが
            生活スタイル的にそれらを避けるのは
            不可能なので、毎回少し緊張しながら
            フル活用しています。( ̄▽ ̄)あはは




            血圧の薬がなかなか適合しなかったので
            突然に意識を失くすことが多々ありました。
            なので、今はその薬は使用していません。


            今も、時々フゥーーーーっとふらつく事が
            あるので、階段の使用時は、必ず手すりを
            持つように。


            治す、よりも、共存を意識しています。




            上記は「行い」に関して書きましたが
            では心の保ち方を。


            確かに、予測不能なタイミングで
            血管に何がどう起こるのかわからない。
            それを意識し過ぎると、怖くて何も
            できないですね。


            ここからが、最強なる仏教の出番です。




            この「恐怖」の時間軸は「未来」。


            こうなったらどうしよう…
            あぁなったらもう終わりだ…


            これらは全て未来。


            えー?そうは言っても不安やーん!
            と思いますよね。笑笑
            不安、という感情も、これまた未来。笑


            我々の恐怖、不安は「未来」の産物です。




            「今」に心を置いておくと何も感じません。
            今、自分の身に起こっていることに
            全神経を集中しておくことが大事。


            食べている時は、食べていることに気づきながら
            美味しく頂く。


            ほとんどの方は、食べているけれど
            食べていることに気付いていません。
            口にモノを入れて噛んでいるだけで、
            「食べている実感」を体験していない。


            心は昨日や、明日のことを考えたり、
            請求書のこと、期日のこと、他人のこと、など
            今、自分の身が体験していることに
            気が付いていないものです。




            肝心なのは
            常に五感を自分へ向ける



            ということ。
            「今に存在する」とはそういうこと。


            今日、そのコツの一つをウェブサロンで
            放送しました。




            歩いていることに気付く

            という歩行瞑想です。


            お釈迦様が何万人という弟子を連れて
            布教活動をされていた時の歩行は
            全て、この歩行瞑想だったといわれます。




            右足に体重がのり、
            次第に右爪先に体重が集まっていくと同時に
            左足のかかとが大地へ深く接触し始める。


            歩く、とは、このような感覚を連続して
            体験しているのですが、
            我々は、そんなことを意識したことがない。




            以前、突然に歩けなくなって松葉杖になった時
            とても慎重に足を運びました。
            その時、


            (おお!歩行瞑想ができちゃうじゃん!)


            と楽しんだのを覚えています。




            今、体験している目の前の出来事に
            五感を集中して生きること!




            これが、私の今の病との付き合い方、
            心の保ち方です。


            もっと、心が休まるような、
            心を強く保てるようなスゴイ言葉を
            期待されていたのかもしれませんね。
            ( ̄▽ ̄)笑




            私は思います。


            最も心を強く保てるコツとは、
            そのまま「生きるコツ」である、と。


            それは、
            千の言葉をもっても保てることはなく
            唯一の智慧は


            「今に心を置き続ける」


            お釈迦さまが、一貫してお伝えになっていた
            無上の智慧です。


            歩行瞑想!是非チャレンジしてみて。
            一歩一歩、丁寧に。




            歩歩是道場
            (ほほこれどうじょう)


            今、歩いているその場こそが
            心の鍛錬を行える尊い修行の場だよ、
            という禅の言葉です。


            さて、と!
            今から岩盤浴にいってきまーす。


            それではステキな1日を!
            ……光静……


            詳しくはサロンでご覧ください。




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            https://lounge.dmm.com/detail/984

             

             

            おしょーにん * - * 11:20 * comments(0) * -

            全部、返ってきてほしいとおもえることを

            0

              瀧本です。


              思ったこと
              言ったこと
              行ったこと


              そのまんま、返ってくるよ〜、という教え。
              =因果の道理=


              これを聞いた時、


              やべぇ。
              そりゃ、こまる……汗




              でしたが、あなたはどう?笑笑




              今まで、のべ何万人というという方の前で
              これをお話ししてきましたが、
              過去にたったの、お一人だけ


              わぁ!嬉しい!と言われた人が。


              陰でずっとゴミを拾ったり、
              誰も見ていないところで、
              自分ができる限りの奉仕活動を
              見返りを求めずされていた女性。




              人生、何があっても
              グチだけは絶対に言わない、と決めてたそう。
              素晴らしいですよね、ホントに。




              さ、今日、これからの時間、


              自分が言った言葉、
              行ったこと、
              思ったこと


              これら三つ(三業)が自分の人生に
              返ってきて欲しいことのみに絞って
              過ごしてみたいと思う。


              できるかなぁ?( ̄▽ ̄)


              こういう意識を、毎朝もって
              歩みたいと思う。


              みなさんもチャレンジしてみてね。




              今からラジオ収録にいってきまーす。
              それではステキな一日を!
              ……光静……



               

              おしょーにん * - * 09:43 * comments(0) * -

              無常を認める、ということ

              0

                瀧本です。
                今、数名の弟子たちが毎日頑張って
                喜びと試練の中でブログを書いています。


                先日から新たにスタートした弟子のブログを
                紹介します。

                通称トミー。

                人生の葛藤や、職場での人間関係で苦しみ
                それに導かれてお勉強会に来てくれるように
                なりました。とてもキュートでまっすぐ、
                そして不器用な女性です。笑笑


                彼女が私を通して得た仏教の気づきを
                自分のために連続でブログ更新。


                またよかったら覗いてみてください。


                トミーのブログ


                さて。

                お釈迦様の言葉にこうあります。


                「不安な中で安心しておきなさい」


                不安という妄想を追ってはいけない。
                不安でいいのだ、と。


                お預かりするご相談の中に必ず含まれる
                ワードがあります。


                それがその
                「不安で……」というワード。


                大事なのは
                不安を無くすことではなく
                この世は無常であるという真理を認める勇気

                です。

                不安定、とは
                どのような状況を指し示すのか。

                それはまさに「安定していない有様」です。


                そう。定まることなく揺れ動いている有り様。


                この世の全ては揺れ動いています。


                我々の細胞も、大自然の営みも
                そして、あなたの心も、です。


                「私はこういう人間だ」と、性格を提示しても
                明日、同じ思考でいるかは測れない。


                自分の心さえ安定させることはできないのです。


                とすれば、他人を定義するなどもってのほか。


                結婚したからといって、
                パートナーが変わらぬ笑顔で対応してくれる
                など思ってはいけない。


                互いが信じ合って仲良く暮らすのも
                1日1日のまさに勝負です。


                そういう世界に我々は住んでいる。


                これが仏教の代表的な教え
                諸行無常です。



                この世界は何もかもが無常であることを
                認める勇気を持つなら
                ほとんどの苦しみは失せるはず。



                連続する人生の出来事から気付きを得て
                「こういう場合はこうしよう」と
                無常の世界を智慧を持って渡れるように
                ブッダの具体的な行動学を活かすこと。


                お祓いをしたり、
                何かにすがって不安を消そうとするのは
                責任逃れです。


                全ては具体的行動によって安定なきこの世を
                無事に生きていく。教えはそのために
                残されました。

                ……ご相談内容……
                彼に裏切られ怒りがおさまりません。
                鏡の中の歳をとってきた自分を見ると
                これから先が不安で不安で。
                その他、辛いことが続くので
                お祓いにいこうかと思っています
                …………

                まず、起こった事を受け止める。


                そして、相手が自分を
                裏切らなくてはならなかった原因が、
                自分の中にあるかもしれない、という思考から
                自分をよく観察する。


                原因が見つければ、それを取り除いて
                新たな一歩をだす。


                そうやって、立派に一人で歩む力を
                無常に過ぎ去る体験から養っていくことが
                幸せへの道である、と仏教は説きます。


                無常のこの世のを力強く歩むコツは
                無常という真理を認めることです。


                さて、と。
                午後から冷え込んできましたね。

                今夜は逆視道の講座。
                東洋思想の「時間」を学びます。
                参加される皆さん、お楽しみに。


                それではステキな1日を!
                ……光静……



                今日のサロン配信は
                「大自然界の慈悲に気付く」をお届けしました。
                サロンのお申込みはこちらから


                あ、次回の奈良のこころ道は3月22日です。
                本当に楽しい会。
                是非。




                 

                おしょーにん * - * 13:54 * comments(0) * -

                楽しい心でいる、ということ

                0

                  瀧本です。


                  私のブログのリブログをしてくれている弟子の
                  リブログになりますが
                  (ややこしいー( ̄▽ ̄)


                  何とも言えない、どこか寂しげだけど
                  温かいイラスト付きのミヤコのブログ。
                  短かくて、少し不器用な文章が妙にいい。


                  遡って読んでみて下さい。


                  妙〜にいいです。笑笑


                  ミヤコのブログ



                  この内容にあったように、
                  自分の臨終時の最後の一言として、
                  人生の感想を述べるとしたら
                  何と言いたいだろう?と考えてみて下さい。




                  私は
                  「あぁ、面白い人生だった」


                  と言いたい。


                  だから、選択肢がいくつかあるジャッジを
                  するときは、




                  うーむ、どっちが面白いかな〜


                  と思考します。
                  どっちがワクワク度が高いかなー、と。




                  人生の緞帳は、ある日突然のように降りる。


                  だから、どの瞬間でも面白いと思う方を
                  選んでいます。


                  その繰り返しの中で、いつか必ず、しかも突然
                  今の選択が最後になるタイミングと出会う。


                  それがいつなのか、
                  どの選択が最後になるのか分からないので
                  常に面白い方を。




                  仏教的にいうと、
                  三方良し、の選択をするように教えられる。


                  三方、とは
                  自分、相手、周りの人、だ。


                  自分だけがよい、というのは関心できない。
                  自分と相手だけよい、も関心できない。


                  自分、相手、そして
                  周りの方々にとってもよい、という
                  選択をしていくことが「三方良し」の心得。




                  私達は煩悩に支配されがちな愚か者なので
                  うっかりしていると、二方よし、または
                  一方(自分だけ)よし、の選択をしがち。


                  では、どのようにして、三方よし、を
                  見つければいいのだろう?


                  それは、


                  心に聞く、ということ。




                  私達の心は本来、「良いこと」が好きな生き物。
                  良いことをする時は、誰でも気分がいい。


                  以前、横領の罪で受刑生活を送っている対象者と
                  面談を行ったとき、質問したことがある。




                  ある人を困らせてやろう、という悪意を抱き
                  計画的に横領を働いた女性だ。


                  その細かな計画性は、まるでプロのよう。
                  とても初犯とは思えなかった。




                  本人は、相手をこらしめてやりたい一心で
                  その事件は長期に渡って実行された。


                  その対象者へ私は
                  「それは楽しかったか?面白かったか?」
                  と聴いた。


                  すると
                  「苦しいだけでした」と答えた。


                  私達は思い込んでいる一面がある。
                  それは何かというと、
                  悪い働きを繰り返している人は
                  それを楽しんでいる、
                  ふふふ…しめしめ( ̄▽ ̄)とまるで陰で
                  不気味な笑顔を常にこぼしている、と
                  思い込んでいる。


                  けれど、私達の心というものは
                  本来は楽しいこと、面白いこと、温かいこと
                  が好きな生き物。


                  意図的に自ら仕組んだ悪行であっても
                  やはり、実行中はかなりのストレスを
                  抱え込んでいるのです。


                  心は知っているのです。


                  良い行いと、そうでない行いを
                  心はちゃんと知っているのです。




                  ブッダはいいます。


                  「楽しんでいる心でいるとき、
                  人は悪いことは出来ない。
                  楽しさは誰かと分かち合いたくなるもの。」
                  と。


                  これがまさに三方よし
                  の原点だなって思っています。


                  自分が心から楽しんで、面白いなーっと
                  感じることを選び行う。
                  すると、オートマティックに
                  周りの方も笑顔になることを
                  選択できてしまっている。




                  イッヒッヒ…と悪事を楽しんでいるように
                  見える罪人も、そう振る舞っておかなければ
                  自分を保てないのかもしれません。




                  人生はいつ終わるかわからない。
                  だからこそ、いつも正しい選択をしたい。
                  けれど、煩悩だらけの我々には
                  その正しさを見分けることが難しい。


                  ならば、


                  健やかに「楽しいな」と思える方向の選択をする。


                  こんなゆるーいタッチで
                  いいのだと思っています。


                  …………
                  自分の選択はいつも間違っているように思えて
                  自信がないのです。後からいつも辛くなる。
                  先生は、いつも楽しそうに見えます。
                  そのコツがあるのら教えた下さい
                  ………………
                  このご相談へのお返事として更新しました。




                  選択を間違える、ということのほとんどは
                  「あなた」が選択をしていないから。


                  あなたの中の「誰かを意識した目線」が
                  選択しているのだと思います。


                  誰かに合わせた選択を、あなたが生きる


                  これは不自然です。辛くなるのも当然。




                  あなたがあなたの楽しみのために選択をし、
                  それに引き寄せられるように
                  周りの人も楽しくなっていく。




                  水面に石を投げ入れたとき、
                  石の落ちた中心から、波紋が広がるように
                  あなたの幸せな振動が、
                  周りへ広がっていくのです。


                  どっちが楽しいかなー?
                  どっちが面白いかなー?


                  こんなゆるりとした心で
                  物事を見てみて下さい(^^)




                  さて、と。
                  今日は大法要。さむーーい京都ですが、
                  風通し抜群の袈裟で法務をしてきます。笑


                  それではステキな1日を!




                  ……光静……


                  まもなくこのブログは引っ越しいたします。
                  ヤプログ登録をしてくださっていた皆様、
                  新たなブログの方を再登録して下さいね。


                  過去の内容は、そちらへ
                  全て引っ越し済みですのでご安心を。




                  瀧本光静のお座布団大学
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                  おしょーにん * - * 09:58 * comments(0) * -

                  少しだけ止まる、ということ

                  0

                    瀧本です。


                    心を定めて新年をスタートしたい、
                    という思いの方が多いのでしょう。
                    沢山のご相談をお預かりしています。


                    重なっていた内容を抜粋してまとめてみると


                    …………


                    昨年まではウジウジしていたけど、
                    今年こそ、そんな自分と決別したい


                    比較ばかりしていたから
                    今年こそ自分らしく生きたい


                    他人のSNSが気になって、負けたくなくて
                    苦しかった。もっと堂々と強くなりたい


                    何か目標を設定して前進したい
                    …………

                    これらの一歩を教えて欲しい…
                    このような言葉で集約できたと思います。


                    さて、と。


                    仏教に


                    出家という言葉があります。





                    この言葉を聞くと、頭を剃って修行に入って
                    お坊さんになる為の勉強を始める…と
                    思われる方がほとんどかと思います。


                    どこかの山の上で数ヶ月、厳しい修行をして
                    娑婆世界と離れて…みたいな?笑


                    が、実際はそうではありません。




                    「出家」が指し示すところの肝心な意味は




                    今まで、無意識で行なってきた
                    慣れ親しんだ物事の捉え方、
                    クセになっている出来事への判断、
                    これらを勇気を持って手放していくとこの
                    決意をする、ということです。





                    今までのクセとして、
                    すぐに他人と比較してしまっていたのなら
                    その思考クセを止めるぞ!




                    他人のSNSで苦しんでいたのなら
                    全く意味なきその苦しみを手放すぞ!




                    もちろん、これらの志は素晴らしいことだと
                    思います。私も是非ともこれらの志が
                    成し得られることを願っています。


                    そこで、一つ考えてみて欲しいことがあります。


                    それは、


                    今まで、そうしてきてしまった理由は
                    何だったのか


                    ということです。


                    我々行う全ての思考は、必ず「目的」が
                    あります。




                    すぐに比較をしてしまうことも、
                    単に比較をしたかった、というものではなく
                    比較をすることによって
                    何かを得たかった
                    はずです。



                    他人のSNSを意味なく頻度高く覗くのも
                    その行為によって、何かを得たかった…



                    その無意識に行なってしまっていた欲求は
                    一体、何だったのか。


                    それをまず、しっかりと見る。
                    落ち着いて、心をしっかり見てあげる。


                    まず、これを先行してあげて下さい。


                    それをしてしまっていた行為を振り返ると
                    手法を間違いながらも、何かを求めていた
                    足跡があるものです。


                    そこを見ないで、


                    さ、今から変わるぞ!
                    比較はやめるぞ!
                    と次のアクションを探そうとしても
                    一歩は踏み出せないように思います。


                    まずは、
                    苦しいとは分かりながらも
                    今まで、比較という手法で求めていた何か、


                    他人のSNSを覗いては探していた何か、を
                    心に聞いてあげて下さい。


                    それは、
                    人から愛される術を探していたのかも
                    しれません。


                    怒りを手放す術が欲しかったのかもしれません。




                    それが見えてきたら、
                    すでに愛されていたことに気付く


                    それらの怒りの対象はもう過去だと気付く






                    そう。
                    心をゼロポイントに戻してから
                    次の歩みをワクワクして決める。


                    心のゼロポイント





                    これを仏教では「安心」といいます。
                    あんじん、と読みます。


                    漢字とはよく出来たもので


                    歩の文字を分解して味わってみると




                    少しだけ止まる、と書く。


                    前進、前進!というニュアンスがありますが


                    少しだけ、止まってみることを意味します。




                    これが嫌だから、それをやめて新たに歩むぞー!
                    と急ぐのではなく
                    一旦、止まってみる。少しの間。


                    私は何を求めて、そんな苦しい思考を
                    してしまっていてなかな?
                    もしもし、私よ、何だったの?




                    優しく問いかけてあげて。


                    なぁんだ!そういうことだったのね。
                    だから、一生懸命、比較してたのね。
                    と、心は返事をしてくれるでしょう。

                    そうやって、慣れ親しんだ思考クセを
                    勇気を持って手放していく。


                    そして、教えを引き寄せた新たな思考に
                    スライド&実践していくことを


                    出家

                    といいます。


                    さっき、お電話でお話しした北海道のFさん、
                    伝わったかな?


                    あなたへ向けて書きました。

                    これを読んでくださっている方も
                    何かを感じ取って頂ければ幸甚です。(^^)




                    今夜も冷えますね。
                    皆さま、御自愛くださいますよう。


                    そして、
                    本年も宜しくお願い申し上げます。


                    それでは、ステキな夜を


                    「歩む、とは
                    少しだけ止まる、ということ」
                    大切にしたい言葉ですね。
                    ……光静……


                    今、毎日配信しているウェブサロンの動画、
                    サロンのメンバーさまは
                    明日の配信は必ず見て下さい。
                    (ってか、毎日観てね。笑)


                    連続配信している瞑想シリーズでなはく
                    年末年始になぜか多く寄せられた
                    ご相談に応えています。



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                    おしょーにん * - * 20:51 * comments(0) * -

                    やってみる、ということ

                    0

                      瀧本です。
                      …………
                      なぜ恐れるのか。
                      何をためらうのか。


                      それは、
                      外の世界があなたへ影響を及ぼす、と
                      信じているからである。


                      あなたの人生へ影響を及ぼすことができるのは
                      ただ一つ。


                      あなたの思考である。


                      今のあなたは、
                      あなたが願った通りの人格であり
                      あなたが願った通りの人生である


                      この「願い」とは、
                      はかなく思考した因(意識)のことであり


                      人生の「出来事」とは、
                      因果の法則により寸分の狂いなく現れた
                      結果である。であるから


                      恐れを抱くべきは結果ではなく
                      今この時にもあなたご行なっている
                      はかなく過ぎ去る思考、である。


                      注意すべきは、あなたの思考である。


                      牛が暴れて惨事を起こすことのないように
                      飼い主が、牛を調教するように
                      我々もまた、今すぐ心を整えるのだ。


                      そうすれば全ての結果が変わることを
                      知っておくべきである。今すぐに。


                      …………
                      多くのことにチャレンジした一年でした。
                      お力添えを頂きました皆様、
                      本当にありがとうございました。


                      12月に入ってから、どこへ行っても
                      先生の座右の銘を教えて、と聞かれました。


                      新年に向けての目標設定のヒントを
                      求められてのことですね。


                      幼少期から、変わらぬ座右の銘を
                      持っています。
                      一度も上書きされずに、ずっと同じ座右の銘。




                      とてもシンプルです。






                      やればできる


                      そう、なんだって、やればできる。


                      ならば、やってみる。
                      いつから?いまから。
                      何を?心が動いたものを。


                      ワクワクと出会えば、今やる。


                      正しくない思考だと気付けば、今手放す。


                      仲間と会いたかったら、今声をかける。


                      部屋が散らかっていると思えば、今整える。


                      学びたいことがあれば、今申し込む。


                      笑顔を取り戻したいと思うなら、今笑う。


                      強がっていると気づけば、今鎧を棄て去る。


                      言葉が雑だと気付けば、今言葉を正す。


                      幸せになりたいと願うなら、今幸せに気付く。


                      やればできるのです。


                      そう、やればできる。


                      出来ないのは、やらないから。それだけ。
                      出来ないと嘆く人は、やらない人。




                      因果の法則は、
                      秤のごとく自然界で動いている。




                      やればできる


                      これこそ、因果の法則を最もシンプルに
                      解説した言葉だと思います。






                      毎日5分の法話動画をサロンで配信していますが、
                      とてもいい自己鍛錬になっています。


                      朝一番ににっこり笑って
                      メンバーの皆さんのお顔を想像して
                      楽しく語りかけることは
                      自己の心を正すのにとても有効。


                      病状が悪い時、配信はキツいな…と
                      思った日が数日ありました。


                      けれど、呼吸で心と身を整え、
                      カメラの前に座ってみると
                      やれば出来たのです。





                      やってみる。


                      人生は複雑に見えるけれど
                      大宇宙は、そんな難しい世界を
                      作ってなんかない。


                      私ができることなど虫ケラほど。
                      (こう書くと、虫さんにチョー失礼ですが)笑




                      できる範囲でこれからも、学びを深め
                      お伝えしていきます。やっていきます!


                      恐れることは何一つない。
                      お釈迦様の言いつけを守り
                      心を調教することを怠らず
                      邁進したいとおもいます。


                      本年はありがとうございました。




                      どうぞ宜しくお願い申し上げます。
                      ステキな大晦日ナイト&新年を!
                      ……光静……

                       

                      おしょーにん * - * 12:20 * comments(0) * -
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